ホーム 芸能ニュース・ゴシップ 元関脇・琴ヶ梅の最高位や全盛期の活躍、大関昇進の背景から引退後のちゃんこ店経営まで徹底解説

元関脇・琴ヶ梅の最高位や全盛期の活躍、大関昇進の背景から引退後のちゃんこ店経営まで徹底解説

雨宮 翔 雨宮 翔 • 更新: • 公開: • 読了約 8 分
目次

大相撲の歴史において、卓越した技と鮮やかな攻めでファンを魅了し、一時代を築いた名力士がいます。富山県出身で佐渡ヶ嶽部屋に所属した元関脇・琴ヶ梅剛史(ことうめ つよし)もその一人です。最高位である東関脇にまで上り詰め、幾度となく大関への昇進に挑戦したその足跡は、今なお多くの相撲ファンの記憶に深く刻まれています。

本記事では、琴ヶ梅の全盛期における圧巻の取組や大関昇進を阻んだ要因をはじめ、引退後に取り組んだちゃんこ店経営や現在の歩みに至るまで、信頼性の高い公式記録をもとに徹底的に紐解いていきます。

琴ヶ梅のプロフィールと基本情報:富山が生んだ技巧派力士の足跡

琴ヶ梅

琴ヶ梅剛史は1963年10月5日、富山県婦負郡八尾町(現・富山市)に生まれました。本名は北山聡。佐渡ヶ嶽部屋の門を叩き、恵まれた体格と優れた相撲センスを武器に着実に番付を駆け上がっていきました。公式プロフィールによると、身長180cm、体重187kgの巨体を誇りながらも、荒々しいだけの力任せの相撲ではなく、右四つ、寄り、突きを巧みに使い分ける正統派の技巧派として知られていました。

佐渡ヶ嶽部屋といえば数々の名力士を輩出した名門であり、その厳しい稽古環境の中で琴ヶ梅も鍛え上げられました。特に若い頃から頭角を現し、三役通算在位18場所という長期にわたって上位陣の壁として、また時には優勝争いに絡むダークホースとして土俵を大いに沸かせました。北陸出身の力士としての誇りを胸に、全国の相撲ファンから愛された存在でした。

最高位・東関脇と全盛期の輝き:平成元年の二桁勝利ラッシュ

琴ヶ梅のキャリアにおける最大のピークは、1980年代末から1990年代初頭にかけての時期でした。特に平成元年(1989年)の土俵は、彼の代名詞とも言える圧巻のパフォーマンスが続いたシーズンでした。同年7月場所では、強豪2大関を破る殊勲の相撲を見せて敢闘賞を受賞。さらに続く9月場所でも、1横綱1大関を撃破して技能賞を獲得しました。

当時の大相撲において、関脇という厳しい地位で2場所連続10勝5敗の二桁勝利を挙げることは、大関昇進への確実な切符とみなされていました。この時期の琴ヶ梅は、得意の右四つから一気に寄り立てる力強さと、相手の攻めをいなす絶妙のタイミングを兼ね備えており、誰もが次期大関の誕生を確信していました。

時期・場所 番付 成績・主なトピック 受賞・評価
平成元年7月場所 東関脇 10勝5敗(2大関撃破) 敢闘賞受賞
平成元年9月場所 西関脇 10勝5敗(1横綱1大関撃破) 技能賞受賞
平成元年11月場所 東関脇(大関挑戦) 8勝7敗 惜しくも大関昇進を逃す
平成9年5月場所 平幕・十両 現役引退 三役通算在位18場所

大関昇進の夢を阻んだ要因:怪我とコンディションの変遷

平成元年11月場所、琴ヶ梅は悲願の大関昇進を懸けて土俵に上がりました。周囲からの大きな期待とプレッシャーの中、懸命な相撲を取り続けましたが、結果は8勝7敗と勝ち越すにとどまり、惜しくも昇進の基準に届きませんでした。この最大のチャンスを逃したことが、その後の競技人生に大きな影を落とすことになります。

その後は、酒好きに起因する糖尿病の悪化や、慢性的な膝の負傷、腰痛に悩まされるようになりました。万全の稽古が積めなくなった結果、かつての武器であった鋭い出足や前に出る相撲が影を潜め、相手に上手を取られてはたかれる場面が目立つようになりました。NHK大相撲中継の解説を務めていた出羽錦らからも、その全盛期からの衰えを惜しまれる声が上がることがありました。

不屈の再起と土俵人生のフィナーレ

幕内から十両へと陥落する厳しい現実を突きつけられながらも、琴ヶ梅の相撲に対する情熱が折れることはありませんでした。この時期、どんな苦難の時も変わらぬ愛情で支え続けた一人の女性ファンと結婚を果たし、家庭を持ったことが大きな心の支えとなりました。愛する妻の存在を力に変えて土俵で再起を誓い、一度は11勝4敗の好成績で十両優勝を果たして幕内への返り咲きも成し遂げています。

しかし、度重なる怪我と体力の限界は隠しきれず、再び番付を下げた後、平成9年(1997年)5月場所を最後に現役生活に幕を下ろしました。引退相撲では、身重の夫人が支度部屋で琴ヶ梅のネクタイを締め直す温かいワンシーンが報道され、多くのファンの感動を呼びました。そして引退相撲の翌月には待望の長男が誕生し、土俵人生の終わりと新たな家族の始まりが重なる感動的な結末となりました。

引退後の歩み:ちゃんこ店経営とセカンドキャリアの充実

現役引退後は相撲界を離れ、自身の得意分野を活かした新たな道へと進みました。多くの元力士がそうであるように、食を通じて相撲文化を広めるべく、ちゃんこ店(力士料理琴ヶ梅)の経営に乗り出しました。現役時代に培った料理へのこだわりや、気さくな人柄を活かした店舗運営は、地元の常連客や往年の相撲ファンから高い支持を集めました。

飲食店経営だけでなく、メディアへの出演や相撲解説など、多方面でその知見を共有。現役時代の栄光と挫折の両方を経験したからこその説得力ある語り口は、今なお大相撲ファンの間で語り草となっています。プライベートでは家族を大切にしながら、堅実かつ情熱的にセカンドキャリアを築き上げていきました。

【琴ヶ梅】に関するよくある質問(FAQ)

Q1:琴ヶ梅の最高位は何位ですか?
A1:東関脇が最高位であり、三役には通算で18場所にわたって君臨しました。

Q2:大関昇進を逃した最大の原因は何ですか?
A2:平成元年11月場所での大関挑戦で8勝7敗に終わり昇進を逃した後、糖尿病や膝・腰の負傷が重なり、万全の稽古や全盛期の相撲が取れなくなったことが主な要因です。

Q3:引退後はどのような活動をしていますか?
A3:引退後は「力士料理琴ヶ梅」などのちゃんこ店を経営し、食を通じて相撲の魅力を伝えるとともに、セカンドキャリアで手腕を発揮しています。

まとめ:波乱万丈の土俵人生から学ぶ不屈の精神

元関脇・琴ヶ梅の足跡を振り返ると、そこには単なる勝ち負けを超えた、一人の力士の壮絶な生き様が浮かび上がります。平成元年における圧倒的な強さと大関への肉薄、そして怪我や糖尿病との長きにわたる闘いは、決して順風満帆ではないアスリートのリアルな現実を物語っています。

しかし、苦境に立った際も家族の支えや不屈の闘志で再起を果たし、引退後にはちゃんこ店経営という新たなフィールドで成功を収めたその姿は、多くの人々に勇気を与えています。2026年現在も、昭和・平成の大相撲黄金期を彩った名力士として、その記憶と功績は色あせることなく輝き続けています。

同じカテゴリの記事

雨宮 翔
デジタルマーケター 雨宮 翔
プロフィールを見る →

人物プロフィールを担当。本人や所属先の公式発表、過去のインタビュー記事を照合し、確認できない数値は本文に書きません。

おすすめの関連記事